軒先ぶどうプロジェクト

明治12年ごろ入ってきたといわれる高浜ぶどう。
最盛期だったそのころには、「ぶどうでおおわれた町」と言われるほどでした。しかし、気候の変動や生活スタイルのうつり変わりから高浜でぶどうを栽培する人は年々減っていき、近年では全くと言っていいほど見なくなっていました。
「葡萄樹の汁滴る邑」(ぶどうじゅのつゆしたたるむら)
紀行文『五足の靴』にて旅の最中、高浜を訪れ際に謳われるほどのモノをこのまま消すことはできないと、高浜地区振興会を中心に高浜ぶどうを町中いっぱいにしようという活動を始めました。しかし近年では育成者が少なく、現存している高浜ぶどうの木もたった一本だけでした。
まず苗木を育てるため一本しかなかった木から接木をし、数を増やす事から始めました。施行錯誤を重ねながら、商工会をはじめ地区の方々の協力の元、希望される方へ配布できるほど、苗木も数を増やすことができました。
お配りする苗木を家の軒先・庭先などで育てていただき、高浜の町を「ぶどうの町」と言われたあの頃のように美しいぶどうの町をつくる、それが軒先ぶどうプロジェクトです。
※五足の靴
1907年に発表された紀行文で与謝野寛が、まだ学生の身分だった太田正雄、北原白秋、平野万里、吉井勇の4人を連れて旅した記録を綴ったものです。












